サラシアの永遠のテーマ

M社のウィンドウズが1994年に出荷されるはずだったが、結局は一年以上遅れたマルチメディアへの対応で旧J氏のウィンドウズと同レベルでしかなかったら、どうしようもなく時代遅れのしろものとみなされてしまうだろう。 このように、マルチメディア対応は至上命令だったにもかかわらず、M社はこの問題をなかなか解決しようとしなかったので、史上もっとも期待されたソフトウェアの出荷はさらに遅れることになった。
「だれもが、どうするべきかという議論をしていた」C氏は回想する。 彼の説明によれば、マイクロソフトが「マルチメディアツールの開発に熱心でなかった」のは、上級管理者たちがそこに黄金が埋まっていると信じなかったせいでもあるらしい。
M社は、1985年にウィンドウズの最初のJ氏を出荷した。 それは、アップルのマッキントッシュと同じように、ポイント&クリック式のGUI(グラフィカル・ユーザー・インタフェース)を実現したことを自慢していたくせに、マルチメディアには対応していなかった。
テキストによる難解なコマンドとはちがい、GUIは、アイコンと呼ばれるクリック可能な小さな図柄や、プルダウン式のメニューを使って、プログラムを起動したりファイルを開いたりする。 ウィンドウズは、ビジネスソフトウェアを対象に設計されていたので、テキストや棒グラフの線を扱っているかぎりは良好に作動した。
しかし、サウンドやビデオやアニメーションなどを扱うのはどうしようもなく不得手だった。 これがDOSなら、コンピュータのビデオボードやサウンドボードなどのハードウェアに直接アクセスできるのだが、ウィンドウズが途中で割りこむとすべてが遅くなってしまう。
DOSの上で作動するウィンドウズは、マルチメディアの高速再生をさまたげるだけだった。 のろのろぎくしゃくしたシューティングゲームになんの意味がある。
その結果、業界内には、ウィンドウズ用のゲームやマルチメディア・アプリケーションを開発するデベロッパーはほとんどなかった。
市場にウィンドウズ用のマルチメディア・ソフトウェアがごく少数しか出まわらないという状況のなか、M社のマルチメディア開発者たちは勝手に敗北したような気分になっていた。
多くの面で、M社のマルチメディア戦略は、B氏ホールに閉じこめられた時間のようなものだった。 前進しているわけでもなければ、静止しているわけでもない。
単に存在しないのだ。 M社の宝は、オペレーティングシステムとビジネスアプリケーションであり、マルチメディアではなかった。


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